1話を読んで、ひさしぶりにいい漫画を読んだ!と思った。いや別に他の漫画も全然面白いんけど、なんだかそういう気持ちになれた。昨年話題になった君たちはどう生きるかよりもこっちのほうが断然いい!とまで思った。1話の女子高生と高柳先生を中心に話が進んでいくのかと思ったらそうではなく、その後毎回主人公役が変わり、それぞれの若人がそれぞれの悩みをかかえていて、それに対し高柳先生が倫理教師という観点から彼らの悩みに答えていくスタイル。1話の女子高生もチラチラ画面のはしに垣間見えるので、またどこかで出てくるのかもしれない。
ただ、申し訳ないけれど、1話がすごく良すぎて1話が頂点だったかもしれない。1話は、高柳先生がひ弱キャラなんだろうなと思っていたら意外に武闘派だったとか、堅そうに見えた先生のちょっとした隙があらやだ可愛いとか、女子高生からのストレートな告白に対する「倫理の先生らしい」回答とか丁寧に描かれていた前半からの怒涛の後半展開が最高だった。最高すぎてその後の話の全部を合わせても、1話の「えっ! えっ! そうなんだ! うひゃー!!!」にかなわない。よく言えば1話のキャラ立てが完璧だったんだろうけれど、その後出てくる子たちの悩みが結局大同小異だっていうのもあるかもしれない。いわゆる思春期の悩みて、要は「自分は社会の枠にはまれない、かもしれない」なんだよね。
そのあたり、思えば鈴木先生はうまかったのかもしれない。今読み返すと発生している問題の内容が少し年代が古い気もするけれど(それとも学校って今でもこんなん?)、なんというか、次はどんな問題を扱うんだろう?っていうのがすごく気になった。問題の解決内容がまったくスッキリしない感じなのもリアリティがあってよかったかなって。私はどちらかといえばエンタメ作品にはリアリティよりも鑑賞後のスッキリ感を求めているほうで、そのための多少のご都合主義はむしろはいはいこれキタキタ待ってましたァ!!よっ千両役者!!!みたいに楽しくすらあるんだけれども、毎度毎度「生徒が悩んでいます」「先生がいいこと言いました」「解決しました」を1話完結でひたすら繰り返されると、話している内容こそ多少違えどさすがにちょっとなあと思う。
たとえば京極堂シリーズも姑獲鳥の夏を読んだ時ものすごく衝撃だったんだけども、その後シリーズを追っているうち、作者さんのキャラ作りや話づくりの癖とか作品のリアリティラインがわかってきてしまうと「今回もまたこういう展開になるんだろうな」「その不思議はトリックがある」「多分これは不思議のままおいとかれる」「多分こいつが犯人」というのがうっすらわかってきてしまってはじめほど最後に衝撃はうけなくなる。そんな感じ。※なお魍魎の匣は別腹です。あのグロマンティックな切ない結末シーンはトリックとかリアリティラインとか関係なく名作ですとも。
なお高柳先生が最後いつも「倫理の時間に会いましょう」と締めるけれど、本当のタイトルはこっちだったのかな。タイトルを見たときに???となったのが購入のひとつのきっかけではあったので、1話の「ここは今から倫理です」にはすごくスッキリした。あと「ここ(の教室)は今から●●(の授業が行われるの)です」という内容を括弧の言葉を省略して言うのがなんだか学生時代の空気感を思い出して懐かしかった。確かにこういう言い方してた!