この人の本を読むと昔から頭が痛くなる。比喩でもなんでもなく本当に痛くなる。文章は平易で正直大したことは言ってないのに、普段使わない頭のどこかを強制的に使わされている感じがする。いいのか悪いのかはわからない。amazonの星評価が低いなーと思ったら、星評価まで使ってレビューでひたすら大喜利が行われていた。既刊全部がそういう感じである。そういう枠のお方である。
内容のほとんどは読んだそばから忘れて構わないっていうか覚えていても脳の容量の無駄遣いみたいな内容ばかりなんだけれども(個人的には、HDDではなくメモリとCPUを酷使するタイプの内容だと思う)、本書はひとつ、これは「おっ!」と思わされる内容があったのでちょっと長いけど抜粋。
かりに「みんなに合わせていさえすればいい」と言うなら、何でも多数決で決めればいいということにある。地球は平らで不動だということになり、反対者は処罰されるだろう。それでもいいのか。
まったくだ! 多数決いくない! 多数決って害悪! と思わされてからの
もっとも、ガリレオや、市民の多数決で死刑になったソクラテスら、多数者に迫害された偉人の間で多数決をとれば、「なんでも多数決で決めるのは間違っている」という結論が出るだろうが。
たしかに^^;;; ええっと^^;;;; じゃあどうすれば^^;;;;;
まあ、「多数」の構成メンバーが変われば常識変わるって話ですよね。だから数に頼った論証はいかんと。自分が不幸だったりなんだったり劣勢に立たされている場合って相手の論理的誤謬に気づきやすいんですけど、自分が平和だとまあそれでいっかーってなっちゃいますよね。
ちなみに、はじめてカレー沢薫のエッセイを読んだ時に「文体が土屋賢二っぽいな」と思ったんですけれど、この世で誰もそんなことは言っていないみたいなので、ネットの片隅でそっと言っておきます。パクリだーみたいな話ではなく、ただ似てるなあってだけ。世の中をニヒリスティックに見ている感じというか、自虐さ具合というか、事実と認識(主張の前提)のずれを理解しつつあえて見ないふりをしてい語ろうとすると自然こんなふうになるのかもしれない。この二人が会話するところをちょっと見てみたい。ただし同席はしたくない。
なお、誠に私事なんですが、この記事アップしたつもりが、なにを間違ったのかゴミ箱に入ってました。これはなんの呪いでしょうか。