漫画家は漫画を誰にでも描けるただし努力は必要だと言い、小説家は小説を誰にでも書けるただし努力は必要だと言い、音楽家は音楽を誰にでもできるただし努力は必要だと言い、スポーツマンはスポーツを誰にでもできるただし努力は必要だと言う。
できねえよ。
努力の問題じゃねえんだよ。
先日遺伝子の不都合な真実という本を読んだ。絵画、音楽、執筆、スポーツ、おまけに数学が、それぞれ環境要因よりもはるかに遺伝からの要因が大きいとはっきり書かれていて、長年のモヤモヤがようやくスッキリした。そして当たり前だが、自分の描いた絵を出版している人は絵が描けるから出版できるのであり、つまりは漫画というのは極論すれば「絵を描く才能」を持った人たちだけが描いているのであり、その才能を持たずに生まれてきた人との間には深い溝がある。この漫画にも絵を描く時のコツが色々描かれていて「ためになるなあ!」と思った。作者さんもきっと親切で「描こうと思えば誰にでもできるんだよ! 絵は楽しいよ!」という気持ちなんだと思う。そこには悪意も才能の有無のマウンティングもない。わかる。だが残念ながら私には才能はない。なのでうっかり乗ってはいけない。どんなジャンルでも、コツをつかめばある程度いける、というのはわかる。それはある。けれど、コツやら知識に触れた時に、人は結局「その理論を知ってから理論通りにやろうとする人」と「なんとなんくやっていたけれどそれを理論としてはっきり意識できた人」の2種類に分かれている。当然に才能に恵まれているのは後者だ。前者が血のにじむような努力をしても後者の天然に追いつけない。残念ながらほとんどの場合においてはこれが現実だ。
悪い意味で言っているのではない。自分にも才能に恵まれた分野とそうではない分野があり、恵まれている分野では「なぜこんな簡単なことがみんなわからないんだろう?」「サボっているのかな?」「もっと努力すればいいのに、コツがあるのに」と思う。だが一方で、才能に恵まれていない分野では、どんなに懇切丁寧に教えてもらっても、言われていることの10分の1も実践できないし、多分そもそも理解できていない。何が理解できていないのかすら自分ではわからない。才能がないとはそういうことだ。
なのでこういう本は、すげえなあと思いながらただ眺めているだけにしておくのが適切よ、と改めて自分に言い聞かせる。コツがわかれば絵が上手になるよ! というのは、アレイスター・クロウリーの本を読めば魔術師になれるよ! と言われているのと私には同義だ。なんとなく少し憧れる。多少はそれっぽくなれるかもしれない。けれど決して、本物にはなれない。才能を持って生まれた人たちに幸あれ。ただ、一つの分野で才能がないからと言って嘆くことはない。才能というのはみな何からしら持って生まれていると思っている。才能のない分野に止まり続けるのは先のない消耗戦なのだ。己の天才を見つけよ。
なんか関係ない話になってしまったけれど、とっても面白い漫画でした。少年が自分の才能に目覚め努力しライバルを得て…というのはいつ見ても何度見てもすがすがしい。絵柄がすごく美大の人感があるけれど、構図は凝りすぎず、よく描き込まれた画面だけれど見やすくて、最近の流行りの絵柄ど真ん中だなあと思います。デッサンやらなにやらで実際の学生さんの作品が出てくるのもなかなか面白い。知り合いに美大を目指す人がいたら勧めたい一冊。